本当のモンテッソーリ 教育


先日、念願だった育児セラピストの試験を受けてきました。

合格発表がまだなのでまた改めてご報告するとして、その時に発達心理学の「幼児期」にあたるところでモンテッソーリ教育にも触れられていました。

リトミック研究センターではモンテッソーリ教育を取り入れた教具がたくさんありますし、宣伝文句としても「モンテッソーリを取り入れています」と書いてあります。

当教室も。

でも最近「モンテッソーリってどういうことだろう?」って考える機会があって。

有名人やスポーツ選手などが幼少期にモンテッソーリ教育を受けていた、なんて情報が広がって、「モンテッソーリ」が一人歩きしてしまっているような…

お電話で「そちらはモンテッソーリ教育をやっているんですよね」とお問い合わせいただいた時も「そうですよ」とお答えしたけれど、きっと親御さまは高価ないわゆるモンテッソーリ知育教具を使ったレッスンをご期待されているのかしら、、と少し申し訳ない気持ちになってしまったり。

ちょうどそんな時に改めてモンテッソーリの分野を振り返る事ができ、モヤモヤしていたものがすっきりしました。

マリア・モンテッソーリが本来目指したものは

・「ありのままの自分を認めてもらう」ことで、能力を伸ばし、好奇心と探究心を発揮する。

・一斉教育ではなく「自由」を保証し、その中で遊ばせる。だからこそ子供の能力が豊かに発達したはず。

この二点だったはずです。

なのに現代では一般教育との差別化としての意味合いが強くなり、それがモンテッソーリ教育の誤解につながってしまっているのです。

発達心理学的観点から見ると、

・「教具でお仕事をする」ことをお母さんや先生は期待するからそうする。そうすれば認めてもらえる

→つまり、「そのように振る舞わないと認めてもらえない」ということ。

・日本においてはお受験対策や早期教育、能力開発の類と認知されている。

・家庭でも実践しやすいように「メソッド化」したことにより大事な本質が見えなくなり、カリキュラム通りに子供達が振舞うことに親や養育者の関心が向いてしまう危険性がある。

上に挙げた問題点は全て、私がレッスンしながら感じていたことでもあります。

私自身も子供がいるので親として子供が先生の指示通りに教具に関心を示さない時には申し訳ない気持ちと、「せっかく来ているのに」とちょっともったいない気持ちもあります^^;

でも、本当にモンテッソーリが目指したものは「子供が今何に関心を持っているか」それを親や養育者がしっかりと観察すること。

そして「敏感期」(様々な能力の獲得に最適な時期がそれぞれあること)に子供の自由を保障して最大限に好奇心、探究心を発揮すること。

レッスンの時にはもしかしたらやらないかもしれません。

でもお家に帰ってから驚くべき記憶力でレッスンを再現しようとするでしょう。

そんな時に「さっきこの子はどんな場面に興味を持っていたっけ?」と思い出して再現のアシストをしてあげると親子のコミュニケーションアップにもつながります。

 

長くなりましたが、「うちの子が教具を先生の指示通りにやらない」とか「先生がモンテッソーリの教具を使ってくれない」とか悶々としている親御さまがおられましたら、少しでも本当のモンテッソーリ教育を知っていただけるとまたお子様を見守る視線も変わってくるのではないかなと思いました。

モンテッソーリが100年前に編み出した教育法が、時代が変わってもずっと普遍的に残っているって素晴らしいと思いませんか?